
α6300を買った。4K動画が撮りたくて。
α5100と比べて重たい。
ボタンがたくさんあって、慣れたら結構ベリかもしれない。でも実際はほとんど必要ないので。重いという不便さからしたらα5100のほうがいいかもしれない。
肝心の4Kはまだよくわかってない。室内で撮った分には、30Pがカクカクで近距離の人物に向いてないかもしれないと思った。
60Pになれていると30Pのカクカクさはちょっと受け入れにくい。

α6300を買った。4K動画が撮りたくて。
α5100と比べて重たい。
ボタンがたくさんあって、慣れたら結構ベリかもしれない。でも実際はほとんど必要ないので。重いという不便さからしたらα5100のほうがいいかもしれない。
肝心の4Kはまだよくわかってない。室内で撮った分には、30Pがカクカクで近距離の人物に向いてないかもしれないと思った。
60Pになれていると30Pのカクカクさはちょっと受け入れにくい。
何か希望があるなら、それを発音するといいみたい。
今日は幾つか発音したら、なんだか気持ちが好転してきた。
この世界は想像力が支配しているので、想像することから始めないとなにもはじまらないんだった。
最近、よく考える。
残りの生きる時間をどう使うのかってことをよく考える。
世界はとても美しくていつだってどこだってすばらしいのに、そう感じられる時とそうでない時がある。
体からの苦痛があったり、気にかかることが何かあったりすると、突然世界は苦しくてどんよりとしたものになったりする。
体からなにも感じない時は、ただ歩くだけで世界の美しさを感じる。幸せになる
20代の頃は幸せになるには、世界に認められる様な製品とか事業とか作品を作らないといけないと思ってた。
だけどそうじゃなくて、いつだって体を感じなくなればただそこで生きてるって事が幸せな事になるんだと考えるようになった。
それでもまだ、よく世の中から認められる価値を持ちたい、世の中から認められたいって心が願うのを感じます。
そこに向かって残りの命を使わないといけないんやないかって思う。
その一方で、それが欲と執着からくるだけで、本当は僕はそれを望んでいないのではないかとも思う。
ただ自由に生きる事、制約なく思うがままに生きたいと願っているやないかな。
2012年10月、脳挫傷で結構ダメージを受けた訳だけど、その後。
3年ちょっと経った。
僕は仕事をする能力の70%を喪失したという判定を受けた訳だけど、その辺は結構微妙なところではある。
事故前の自分の性格とか考え方が変わったのを感じている。
この辺はけっこう顕著に感じている。
確かに高次脳機能障害ではこういう症状がでるようで。
触れ合う人は一見するとなにも変わってないように感じると思う。殆ど変わってないように見えると思う。
だけども内面はけっこう変わっている。
最近は加齢による変化なのか、それとも後遺症なのかよくわからなくなってきた。
Sportiiiis を入手したのでテスト、感想を
まだ30分ほどしか使ってないけど最初のフィーリングを
部屋でマウントした直後は邪魔かなーと思うけど、チャリのってる間はほとんど気にならないし、なれる。逆にSportiiiisがついてないメガネに戻るとなんか寂しい。
データはパワーを表示するように設定してみた。
役に立つか立たないかといわれると訳には立たないかな・・・
ただ本体を触ると現在のパワーとかケイデンスを読み上げてくれるのはいい。
α5100を発注した。キットレンズ付き。
でもまあ、少し明るい標準ズームがいると思う。ソニーとツアイスからはF2.8通しのズームはまだない。予定もない。F4で我慢しないかん。あとはFEレンズとEレンズがある。これもまた微妙だけど、軽くて安いことを考えたらEで良い気がしなくもない
候補は
Vario-Tessar T* FE 24-70mm F4 ZA OSS SEL2470Z(実売¥93,480 )光学手ブレ補正
Vario-Tessar T* E 16-70mm F4 ZA OSS SEL1670Z(実売¥74,012 )光学手ブレ補正
E PZ 18-105mm F4 G OSS SELP18105G(実売¥48,880)光学手ブレ補正、パワーズーム
このあたりの標準ズームかなぁ。18-105は長い気がする。動画なら18-105かもしれないけど、テレ端で画質が微妙っぽい。16-70mm F4かなぁ

なぜMakeが結構盛り上がっているのか。
僕らは仕事で何かを作っているし、作ること自体への関わりは昔もいまも変わらずあると思う。
でも、現代は高度に分業化されて、自分で製品を一から十までつくることはあまりなくなった。
ただ決められた作業をしているだけで、何かを創造していると感じられなくなった。でも全体としてみるととても生産的で創造的なことをしているはず。
そのおかげで、一から十まで作るテクノロジーが身近にあるにもかかわらず、それとは遠いところにいる感じがする。
テクノロジーの進化で個人はすごくエンパワーされていて、何でもできるようになった。
それが経済的な価値を持つかは別の話。
分業化で失われたのは、僕らの自尊心や自信を保つのに必要な創造だと思う。だからMakeで経済的な価値なんかなくても創造することが楽しいことを思い出す。
だから僕らにはMake:が必要なんだ。
そういう文脈でMake:で経済的な成功とかバカバカしいし、Makeはアンチ分業だし、アンチ資本主義、アンチ産業革命なんだと思った。
僕はMake:が好きだ。
岡本太郎の本を読みました。
岡本太郎が何を思って生きたか。生きるということは何なのか、ということを書いてる本
人生うまくやろうなんて、履行ぶった考えは、だれでも考えることで、それは大変卑しい根性だと思う。繰り返して言う。世の中うまくやろうとすると、結局人の思惑に従い、社会のベルトコンベアーの上にのせられてしまう。
そういうことが全体にわたって書いたある。生きることは冒険をし危険を受け入れ恐怖を乗り越えるからこそ、強烈に「生」を感じられるのだと言う。
確かにそうかもしれない。僕らは自分でリスクを取って行動することに強烈な恐怖を抱いている。冒険をすることにビビってる。
だから生きてる感じがしないんだ。何にも価値を持てないんだ。持てるのは大衆がいいというものの価値だけなんだ。
冒険をして生きることで自分の価値を感じられる。たぶん。
だれも問題だと思わないことを問題だと見つけることには価値が有るように思う。
それはアートの価値観で、ここに問題がある言う。
でも、それだけでは広い価値を「すぐに」創造することはできない。
問題は解決されることで価値を持つ。
今まであまり意識されなかった問題がある製品や仕組みやソフトウェアで解決されるとき、その問題と問題解決はとても大きな価値を持つ。
Excelだったり、iPhoneだったり、マウスだったり、GUIだったり。
僕にとってはそれはFingerPianoだ。ピアノ弾けないのは楽譜のせいじゃね?で、ソリューションも一緒にすぐに利用できる形で使えるものとして作ったから。
それは僕にとっても大きな価値を創りだした。
だとすると、必要なのはアートとソリューションのセットなのじゃないかと思う。
PentaxのデフォルトカメラストラップはPentaxとか書いてあって恥ずかしい感じ。
そんなわけで金沢にいったとき寄ったお店でシャレオツストラップを発見
見た目カッコいい。まだ少し固いけど、そのうち良くなるんじゃないかな。
このストラップはateliers PENELOPEとこの御店のコラボ企画みたい。かばんとお揃いの色とかにできる。かばんも結構魅力的だった。