「生きる」という意味

岡本太郎の本を読みました。

「自分の中に毒をもて」

 

岡本太郎が何を思って生きたか。生きるということは何なのか、ということを書いてる本

人生うまくやろうなんて、履行ぶった考えは、だれでも考えることで、それは大変卑しい根性だと思う。繰り返して言う。世の中うまくやろうとすると、結局人の思惑に従い、社会のベルトコンベアーの上にのせられてしまう。

そういうことが全体にわたって書いたある。生きることは冒険をし危険を受け入れ恐怖を乗り越えるからこそ、強烈に「生」を感じられるのだと言う。

確かにそうかもしれない。僕らは自分でリスクを取って行動することに強烈な恐怖を抱いている。冒険をすることにビビってる。

だから生きてる感じがしないんだ。何にも価値を持てないんだ。持てるのは大衆がいいというものの価値だけなんだ。

冒険をして生きることで自分の価値を感じられる。たぶん。

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問題と問題解決について

だれも問題だと思わないことを問題だと見つけることには価値が有るように思う。

それはアートの価値観で、ここに問題がある言う。

 

でも、それだけでは広い価値を「すぐに」創造することはできない。

問題は解決されることで価値を持つ。

今まであまり意識されなかった問題がある製品や仕組みやソフトウェアで解決されるとき、その問題と問題解決はとても大きな価値を持つ。

 

Excelだったり、iPhoneだったり、マウスだったり、GUIだったり。

 

僕にとってはそれはFingerPianoだ。ピアノ弾けないのは楽譜のせいじゃね?で、ソリューションも一緒にすぐに利用できる形で使えるものとして作ったから。

 

それは僕にとっても大きな価値を創りだした。

 

だとすると、必要なのはアートとソリューションのセットなのじゃないかと思う。

定量化すると競うようになる

Facebookの「いいね」をどれだけ集めるかを競っているのを見て思ったこと。

あるお店の評判を感じる時、今までは測定できるようなものではなくて、そこにあるブランドイメージをいかに高めるかということを考えていたと思う。

ところがFacebookがビジネスに使われるようになってから、「いいね」の数という定量的に測定できる概念が導入された。それによって、ライバル企業とかとの差が数字になって(定量的に)分かるようになった。

だけれども、「いいね」の数はブランド価値を測るものではない。ただそこにユーザーが来ておしたというだけのことで、広告費をある程度かければそれは全然増える。

僕らが必要だったものは「いいね」だろうか。違う。

よくわからん人たちが「いいね」を増やしましょうっていうビジネスをしているけれど、それは定量化されたからやってみたらいいんじゃないの?程度の話。

定量化するものを慎重に選ばないと変なインセンティブが生まれるみたい。

 

ゲームとかも同じだと思う。スコアを競うのは定量化されている要素がそれだからだと思う。ゲームは何が定量化されるかで面白さがかなり変わるように思う。ちょっとそこ勉強してくるわ!

Kindleすげえ

もう一年くらい前からちょいちょいiPhoneのKindleで本を読んでいるけども、この2ヶ月くらい頻度が上がってる。

Kinbleは読みたいと思った時にすぐ読めるし、15分くらいの短い時間でも読める。それに自動的な栞機能が素晴らしすぎる。

紙の本を読んでいた時は栞的なものを探して回ったし、それは僕にとってストレスだったみたい。そういうケアが必要無くなったのは細かいことだけど、すごくいい。

今日読んだのは

アップル帝国の正体

アップルのビジネスにおける容赦の無さを書いた本。なんか紙で読んだ気もしなくもない。

こんなに厳しくなければ生き残れないのだろうか。

ネットがつながらなかったので仕方なく本を1000冊読んで考えた そしたら意外に役立った

この本はホリエモンが読んだ本の書評を集めただけで、対して面白くない。Blogでやって欲しい。紹介された本もわざわざAmazonで検索しないと行けなくてうざい。

むしろこの本は元マイクロソフト日本の社長の成毛ちゃんとの対談がオモシロイ。コンピューティングの未来とかコミュニケーションの未来について語り合うところの方がずっとオモシロイ。

僕が印象に残ったのはWeb上でもビデオによるコミュニケーションが必ず盛り上がるという点について、ホリエモンも成毛ちゃんも同意していた所。TwitterのVineは上手く言っているようには見えないけれど、そっちかもしれない。僕はジェットダイスケのやり方が正しいのだと革新を持った。確かにジェットダイスケのやり方はオモシロイんだよね。結局商品の宣伝に近いのに僕は喜んでみてしまう。僕にはオモシロいパーソナリティは無いし、そういうのは得意じゃないけれど、きっと未来はそっち方向にある。そう思った。

 

ゲームに生産性はないのか

iPhoneの本当になんということもないゲームとか何十個か作ってみたわけど。

ゲームをプレイすること自体に生産性があるのか。それを考えてみたい。

ゲームでは誰も食わせてあげられないし、誰かを助けることもできない。誰からも求められてない

だけれども、同じことは楽器を演奏することも、歌うことも将棋もチェスもそうだ。

僕らは音楽を聞きたいし、チェスも見たいし、将棋も見たいし、ゲームのトッププレイヤーのプレイを見たい。ゴルフも見たいし、テニスも見たい。

つまり、ゲームでもお客さんがいればそれは生産性があるってことだ。問題はお客さんがいるかどうか。その一点に尽きる。

ゲームのプレイでもお客さんがいれば、ニーズがあればいい。それは生産的なことだ。

ただプレイするだけではだめだ。それを人に求められないと生産的だとは言えない。

成果とはなにか。

最近は物事をいろんな視点で見るというか、人生迷子になってる。

人の価値観はそれぞれだけれど、仕事をするのは「成果」を出すためだと思う。しかし「成果」とはなにか。

結局カネなのだ。そうじゃないという人もいるけれど、カネなのだ。

僕たちは絶対的に資本主義の価値観を持っていて、それを持たない人を全く許容できない。

なんとつまらない価値観なのだろう。

本当につまらない。確かにお金を稼ぐことも、お金が増えることもすごく楽しい。クッキクリッカーなのだ。増えることが純粋に楽しい。

それはいいことかもしれない。お金を増やすという目標を持つことで生きる意味を創造することができる。そして資本主義はすごく成功している。

僕はお金を稼ぐことはとても楽しいと感じる。その一方でこの価値観に疑問を感じるようになった。

カネをあんまり稼げない人間には価値がないのか。じゃあ違う価値観ってなんなのか。   分からない。

 

以前はそんなこと疑問にも感じなかったけれど。

「生きる」ということ、「楽しむ」ということ。人は楽しみ、遊ぶために生きているのだ。そのために自我とか心が生まれたのだ。仕事も楽しむためにある。

運ということ

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わりと最近まで、上手く行った時自分の実力だと思ってきた。

でも、そうじゃない。

すべて運なのだと思う。この時代に生まれたのも。僕の能力がお金に変わるのも。良い人と巡り会えたのも。良い師に出会えたのも。チャレンジできるのも。

すべて運だと思う。

何にしてもこの時代を生きることになったのだし、楽しんで生きたい。